新宮藩陣屋

別名 新宮砦
     薬師砦 
付近住所 たつの市新宮町新宮 現在- 
2010/7/26 碑・案内板アリ


池田(下間)家
重利→
重政→
薫彰→
邦照 
 新宮藩の藩祖池田重利は本願寺坊官の下間氏の出身であるが、母が池田輝政の姉という関係から池田家に仕えるようになり、その才智と武勇が認められ、慶長18年(1613)に主君と同じ池田姓を名乗ることが許された。その後、大阪夏の陣の軍功により摂津に領地を与えられて大名となり、後に播磨へ1万石で移封され最初は鵤(太子町)に陣屋を置いたが、近隣の竜野姫路藩本多家との争いが原因で寛永3年(1626)に陣屋を新宮に移した。
 寛永8年(1631)に重利が没した後は、2代重政・3代薫彰・4代邦照と続き、寛文10年(1670)に邦照が継子を残さず病没したため廃絶となるが、本家岡山・鳥取藩主の奔走により弟の重教が3千石の新規旗本に取り立てられた。その後、池田家は明治まで旗本として存続し、幕末には頼方(12代)が奈良奉行・勘定奉行・江戸町奉行となり活躍している。
 当時の絵図によると陣屋の南北(元町一帯)に家臣の屋敷が配置されており、こころん広場のある所は家老水谷氏の邸跡である。

          


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